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十三 ろうやの中のヨゼフ
ろうやにいれられたヨゼフは、鉄のくさりでしばられていました。けれども、神さまはいつもヨゼフを守ってくださいましたから、だんだんろうやの監督の者に気に入られるようになり、しまいには、ろうやの中のことは全部ヨゼフにまかせられるようになりました。
その後間もなく、王さまの食卓係の者が、ろうにいれられて入ってきました。ある朝のこと、この食卓係は、たいへん沈んだようすをしているので、それを見たヨゼフは、「いったいどうしたのか?」と聞きました。するとかれは、「実は、私はゆうべ妙な夢をみたのですが、その夢のわけがどうしてもわからないので、心配でなりません」と答えました。気の毒に思ったヨゼフは、「それじゃ、とにかくどんな夢か話してごらん」と言いました。この親切なことばに力づいた食卓係は、自分の見た夢を、次のように話しました。
「私の見た夢というのはこうです。ぶどうのつるに、よく熟したぶどうのふさが三つ下がっていました。私はその実をとって杯にいれ、つぶして、それを王さまに献げました。」
これを聞いていたヨゼフは、つぎのように話してやりました。
「そうか、よくわかった。それはこういうわけです。今から三日ののち、王さまはあなたを赦して、またもとの係にもどしてくださる。だから、あなたは、今私が話したとおりに、もとの地位に戻ったら、どうか私のことを思い出して、王さまに申し上げて、この牢から出してくださるように、お願いしてくれ。私はもともと、なんの罪もないのに、ここにいれられているのだから。」
ヨゼフのことばのとおり、三日目に王さまの誕生日が来たのですが、王さまはそのお祝いの宴会を開くために食卓係のことを思い出し、急にかれを牢から出して、もとの係にしました。けれども、牢を出た食卓係は、ヨゼフにたのまれた事をすっかり忘れてしまいました。
一 神さまはなぜよい人でも苦しみにあわせられるのですか?
神さまはよい人でも苦しみにあわせられるのは、よい人をためして、天国でいっそう大きい報いをお与えになるためです。